根拠

僕達のような生き方をしていると、いつの間にか根拠を探し裏打ちすることを忘れてしまう。
真剣に野生の勘だけで生きてきた。ため息を吐いてしまうし、何だか胃がムカムカしてくるのだが本当にそうなのだ。
誰とも話をしたくなくなるほどの大失敗をしてから根拠という名の手堅い裏打ちの存在を真剣に考えるようになった。
今まで仕事で関わってきた賢そうな方々は思い出してみる。
僕の名案を鼻息で飛ばし、
その自信の根拠は?
その話の裏は取れてるのか?
と言っていた。
つまり裏の取れない話は聞いている暇がなかったのだ。

雨の予測も地震の予測も出来ない僕の野生の勘は確実に外れる。
それに僕も他人の根拠なき話など聞いている暇がない。

根拠は大切な裏打ちだ。
責任のある大人になった今、僕も根拠だけは大切に大切に大切に生きてゆこう。

自己流の哲学

成長するには必要だった気がする。
年末から必死に考え抜いた結果、落ち着いた男になろうと思うのだ。
自分を忙しくするのは労働代価を求めた仕事のみ。
分かりやすくて構わない。
人の話をよく聞き、異論があれば最後まで話合う。
自分を大きく見せないし、他人も大きく見ない。

妻の人生も僕次第なのだ。
素晴らしい妻を頂いたのだから、二人で幸せに歩んでゆこうと思う。

あわてない

初歩中の初歩の心構えなのだが、何が起きてもいちいちあわてないで挑む。
あわてている時だけは自分の過去を振り返ってみればいい。
恐怖や責任によって大袈裟かつ、目の色が変わるほどあわてて行動した時は、他人をあわてさせて大迷惑をかけてきた。
あわてる僕がひょっこり顔を出しやがると、玄孫の代までがたがたにしてしまいかねない大損を招いてきた。

あわてた僕が招く大損害の度に強烈な猛省をしてきた。
今では反省というマイナスな思考が自然体になっている。

自然体となった反省など、まるで意味がない。
こうなると反省せざるを得ない状況下と僕を苦しめたいはずの大損害が哀れになる。

またやらかした僕は、もはやこよなく愛する趣味とも言える反省を正常な位置付けに戻したい。
この辺りで正そう。
あわてたい自分を赤子をあやすかの如くたしなめる。
落ち着け。
あわてる坊主は貰いが少ないんだぞ。
今までの事を考えてみろ。

ざわざわしていた心が見事に落ち着いてきたら、あわてる原因を作っている自分に少しずつ問いかけてみる。

今回もあれだな。

報告
連絡
相談

ああ。またか。
しかし僕はなんという連絡下手なのだろう。
いい加減、生まれてこのかた自分を苦しめ続ける連絡下手を直したい。

ため息をつく自分がアホらしいのだから、この瞬間から天才的な連絡下手を直そう。

さらに原因を掘り下げてみる。
この連絡下手は立派な責任感から来ているようだ。
原因究明は力一杯の脱力感をもって挑む。

責任を感じる
時間一杯までベストを尽くす
万策尽きて居直る

今後は頑張る事を一切やめよう。頑張ってベストを尽くせた試しがない。
頑張る事を信条として生きてきた僕なのだ。
いい加減でだらしない男になる訳だ。
無理と無茶で構成されている僕の人生は、頑張る美学第一主義によって粉々にされてきた訳だ。

昭和生まれの哀れな典型である。
努力と根性を愛しすぎているし、途方に暮れながらもきっと神風が吹いてくれるのだと、まともに信じているときすらある。
父親に竹刀で叩かれる星くんを仮面ライダーと見ているようなものだ。

よし。
より良く幸せな素晴らしい人生を送るために、とっととあきらめる精神力を養おう。
あきらめ第一主義。
当たり前の事だが人生において死ぬまで戦う事は得策ではない。
困難を必死に乗り越えないように気を付けよう。

ようは自分を大切にするだけなのだ。
頑張る事が自分の邪魔をしているなら、頑張る事を止めるだけだ。
潔く自分の敗北を受け入れる事は、ある意味勝利なのだろう。

心の貧しさ

自分の欲深さに気付いてきた僕を褒めてやりたい。
いつの間にか他人に自分の欲を押し付ける人になりつつあったのだ。
貧しさも極まると心まで貧しくなってくるのだなあと感心する。

僕の貧しさなど世界的に見れば豊かだ。
豊かな生活をしているのだから、他人を羨む必要もない。今の生活を悲観する必要もなく、僕の貧しさを他人に分かって貰う必要もないのだ。

心を豊かに養いたい。
他人を思いやる自分を人として当たり前に思いたい。

恩を感じて生きていたい。
1つの恩を1つの形にして返したい。

欲深さと比例して、恩を忘れてゆく僕がいる。
恩を忘れる自分が嫌になる前に、欲を忘れてしまおう。

風景を作る曲

冬の夜の野外イベントで音響の仕事をしてきた。
仕事だということを忘れてしまうほど、DJ達の選曲が素晴らしかった。

僕は自分の趣味を押し付けてゆくことが音楽だと思っている節がある。
今も書きながら考えているのだが、音楽を放つ側としての正解は出ない。

時代に媚びることを恐れた。その結果、仲間に媚びる曲を書いてきた。

ああそうか。僕は誰かに褒めて欲しくて曲を書いてきたのか。
失敗する人の考えは実に浅く、望む成果と逆の努力をしてしまう。

自分らしくいよう。
音楽に求めるものは感動のみ。
感動は風景を彩り、思い出として残ってゆく。
色々な捉え方があるから音楽は素敵なのだろう。

ハピイ?

やはり友人の書いた歌で、ハピイ?という曲がある。

弱さに見えてたその優しさ バカを演じ笑うその強さ

そんな優しすぎる言葉が、書いた本人の気が済むまで羅列してある歌だ。
今から20年も前の歌なのだが、その20年間、僕はこの歌に何度も何度も感動し、その都度助けられてきた。

君の眉間の奥の 心の中にきっと 幸せはあるはず

この曲を書いた優しすぎる友人がそういうのだ。僕の幸せも僕の顔についている眉毛と眉毛の間にあるのだろう。

笑ってしまえるほど、おかしな形をしている眉毛を持っている友人の現在なのだが、昨年の夏三人目の幸せを授かることに成功した。
50歳である。80歳まで働くことを選択し、笑っている。

さて。眉間から血がにじむくらい擦りながら、幸せを待とう。

権利と義務

友達の書いた歌で、権利と義務というタイトルの歌がある。

喜びの権利 苦しみの義務

そういう表現力が尊敬に値する。

自分の人生を権利と義務で縛ってみるのは楽しいことかもしれない。
色々とケースを考えてみよう。

苦しみの義務のあとに待っている感情。

権利と義務を書いた友達は、一度切りの人生を自分らしく生きようとする自分の持つ権利を、自分に義務として課しているように見える。

優しくて良い奴なのだ。