あわてない

初歩中の初歩の心構えなのだが、何が起きてもいちいちあわてないで挑む。
あわてている時だけは自分の過去を振り返ってみればいい。
恐怖や責任によって大袈裟かつ、目の色が変わるほどあわてて行動した時は、他人をあわてさせて大迷惑をかけてきた。
あわてる僕がひょっこり顔を出しやがると、玄孫の代までがたがたにしてしまいかねない大損を招いてきた。

あわてた僕が招く大損害の度に強烈な猛省をしてきた。
今では反省というマイナスな思考が自然体になっている。

自然体となった反省など、まるで意味がない。
こうなると反省せざるを得ない状況下と僕を苦しめたいはずの大損害が哀れになる。

またやらかした僕は、もはやこよなく愛する趣味とも言える反省を正常な位置付けに戻したい。
この辺りで正そう。
あわてたい自分を赤子をあやすかの如くたしなめる。
落ち着け。
あわてる坊主は貰いが少ないんだぞ。
今までの事を考えてみろ。

ざわざわしていた心が見事に落ち着いてきたら、あわてる原因を作っている自分に少しずつ問いかけてみる。

今回もあれだな。

報告
連絡
相談

ああ。またか。
しかし僕はなんという連絡下手なのだろう。
いい加減、生まれてこのかた自分を苦しめ続ける連絡下手を直したい。

ため息をつく自分がアホらしいのだから、この瞬間から天才的な連絡下手を直そう。

さらに原因を掘り下げてみる。
この連絡下手は立派な責任感から来ているようだ。
原因究明は力一杯の脱力感をもって挑む。

責任を感じる
時間一杯までベストを尽くす
万策尽きて居直る

今後は頑張る事を一切やめよう。頑張ってベストを尽くせた試しがない。
頑張る事を信条として生きてきた僕なのだ。
いい加減でだらしない男になる訳だ。
無理と無茶で構成されている僕の人生は、頑張る美学第一主義によって粉々にされてきた訳だ。

昭和生まれの哀れな典型である。
努力と根性を愛しすぎているし、途方に暮れながらもきっと神風が吹いてくれるのだと、まともに信じているときすらある。
父親に竹刀で叩かれる星くんを仮面ライダーと見ているようなものだ。

よし。
より良く幸せな素晴らしい人生を送るために、とっととあきらめる精神力を養おう。
あきらめ第一主義。
当たり前の事だが人生において死ぬまで戦う事は得策ではない。
困難を必死に乗り越えないように気を付けよう。

ようは自分を大切にするだけなのだ。
頑張る事が自分の邪魔をしているなら、頑張る事を止めるだけだ。
潔く自分の敗北を受け入れる事は、ある意味勝利なのだろう。